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ストーリー

奏_スープとパン

 リリリ、リリ、リリリ……とアラームが鳴る。アラームの発生源は、色気もそっけもないシンプルなカバーにはめ込まれたスマートフォンだ。充電コードにつながれたまま、枕の片脇で必死に自己主張をしている。

「うるせぇ……」

 日も昇りきらぬ早朝から健気なスマートフォンだというのに、持ち主の態度ときたら、親の仇を睨むかのようだ。夜間の乾燥にガサついた声で唸ると、手探りでスマートフォンを掴もうと指をさまよわせる。指先にかかった充電コードを引き、結果としてベッドの下にスマートフォンを落とした青年――奏は、唾液の足りない口でいまひとつ締まらない舌打ちをこぼすと、乱暴に布団を跳ねのけた。

 苛立ちもあらわにスマートフォンを拾い、画面へ指を叩きつけるようにしてアラームを切る。これが古式ゆかしい目覚まし時計相手なら、部屋の壁へ勢いよく叩きつけられていたかもしれなかった。

 カーテンを開けたところで、大して部屋が明るくなることもない時間だ。その上、前日の天気予報では、朝から重い雲が立ち込める陰気な空模様が見込まれていた。奏はたった今起きた人とは思えないような重たい動作でベッドから降りると、気の滅入りそうな外の景色から目を背けるようにしてカーテンと窓を開ける。吹き込んだ風から逃げるように台所へ向かい、電気ケトルで湯を沸かし出した。

 加熱が完了するまでの時間で、洗顔をする。ヘアバンドで前髪を上げて冷水で顔を濡らし、泡立てネットに洗顔料をつけ、丹念に泡立てたモチモチの泡で顔を包み込むのだ。奏にとって、肌や髪のケアに使う時間は、そのまま自分の機嫌を取るための時間だった。ふと触れた頬がなめらかであれば、それだけで気分よく過ごせる自分のことを、奏は「我ながら手軽な人間だ」と思っている。ケアにかかる手間と時間のことは勘定に入れないものとして。

 朝に弱かろうが問答無用で振られる早番の、起床した瞬間から荒れに荒れた気分を、大量の泡で洗い流す。擦らないように丁寧に顔の水気を拭き取っていると、ちょうどよくケトルが湯を沸かし終えた。流しの下からストックしてあるカップスープを取り出し、沸いたばかりの湯を注ぐ。パッケージ通りに待機している時間で、今度は洗った顔を化粧水と乳液で保湿した。コットンで叩きこむようなことはせず、じわじわと浸み込ませるように手で顔を覆ってじっとしていれば、自然と呼吸が深く落ち着いていく。

 さっきまでなにをそんなに怒り狂っていたのか、と我に返ったような気分で再び台所へ足を向ければ、カップスープは食べごろになっていた。

 買い置きでやや乾燥してきたパンを引っ張り出して、ちぎってはスープに放り込む。朝はいつも、しっかりとした固形物を食べる気になれないのだ。スープに浮かぶパンのかけらをスプーンで沈め、ふやけてきたところをちまちまと食べる。ひたひたになって崩れかけのパンは、口当たりも優しければ胃にも優しい。

 多めにパンを入れたことでぬるくなったスープをすすりながら、奏は今日の帰りの買い出しリストへシュレッドチーズを追加した。もう寒くなってきたことだし、毎朝食べるこのスープにチーズを足すのも悪くない。

 腹の中で胃が存在感を強く主張し始める一歩手前でスープを間食すると、奏は食器を水に浸して、クローゼットから服を選ぶ。シンプルな黒のチノパンに、長袖シャツと襟の細いジャケットを並べた。暖房を入れるほどでもない微妙な寒さに文句を言いながら寝間着を脱ぎ捨て、そそくさとシャツやチノパンを身に着けた。

 ジャケットだけ食卓の椅子へ引っ掛けて、食器を洗う。器ひとつとスプーン一本、大した時間もかかるはずもなし。洗い終えた食器を拭いて収納すると、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。マグを置いて一杯分の設定を完了すると、奏は鏡の前へ向かった。

 コーヒーが落ちるのを待ちながら、奏は寝ぐせとヘアバンドのせいで真っ二つに割れた前髪を霧吹きで濡らし、ドライヤーでセットする。ほんの一滴ヘアオイルを馴染ませて髪を落ち着かせながら、コーヒーメーカーを見に戻った。

 手早く済ませたつもりが、思いのほか時間をかけていたようで、コーヒーはすっかり出来上がっている。

 業務用のスマートフォンを起動し、夜間に問題が起こっていないかイントラを確認しながら、コーヒーをすする。プライベート端末の通知も確認したりアーカイブへ放り込んだりしているうちに、コーヒーはすっかり減って冷めていた。

 ぐっと残ったコーヒーを飲み込むと、マグを洗って、奏はひとつ伸びをする。慢性的な睡眠不足は今日も解消されないが、温かな食事とコーヒーで、どうにか社会人としての体裁を保つだけのエネルギーは補給された。

 仕方なく、本当に仕方なく、奏はジャケットとコートを羽織り、身支度を完了させる。

 もう一度鏡で髪を確認し、荷物を揃えると、戸締りとガス栓を二度チェックして、玄関に足を運ぶ。

「……帰り、チーズを買う」

 口に出して、まったく大したことではないが実行すればQOLを上げられるだろうタスクを再確認すると、奏は外へ踏み出した。ドアに鍵をかけ、ノブを回して施錠を確認し、職場へ歩き出す。

 昼食は職場の食堂で済ませるとして、問題は晩になにを食うか……と空っぽの冷蔵庫を思いながら、彼は薄暗い早朝の道を足早に歩いて行った。

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職員紹介

石凝 香弥(いしこり_よしや)

所属 超常災害対策部 災害対策二課 制作係 大寒班    

年齢・性別 35/男性 

職務レベル  A

技能レベル

リーダー:5 対策具作成:5 個人戦闘:2 状況把握・判断:3 オフィス技能:4

能力

  • 超常視認、接触干渉
  • 精密細工による高精度守護符・札の作成

所持異能

  • 超常存在感知

不可スキル

  • 道具なしでの浄化・封印
  • 超常が発する音声の認識
  • 超常との対話、説得
  • 物理戦闘

特記事項

本人単体では浄化能力などはないため、道具なしでの現場入りは不可。また、身体能力も一般的な同性・同年代の平均値程度のため、戦闘が発生する現場には不向き。

制作物に一般職員とは比較にならない高効果が付与されることが多い。名に由来する「石凝姥命(イシコリドメノミコト)」との縁によるものとみられる。

現在、守鏡の制作を試行中。

経歴

籠目財団 文化保護部 ■■美術館 学芸員

新卒で入職し、5年間勤務。美術館の所蔵品として超常に由来する「いわくつき」物品が搬入された際、超常に対する反応を示したことから、超常感知能力の所持がが発覚。災害対策2課への異動を打診、承諾。

籠目財団 超常災害対策部 災害対策二課 立冬班

超常対策技能教育訓練を経て、立冬班へ配属。超常関連物品の管理・点検業務に加え、超常対策具の作成研修を実施。元来美術品の修復業務やハンドメイド雑貨作成の経験があり、超常対策具作成にて高い評価を得る。

籠目財団 超常災害対策部 災害対策二課 大寒班

標準を大きく上回る性能の超常対策具を安定して作成できることが判明したため、1年間の立冬班勤務ののち、大寒班へ配置転換を行う。標準守護具作成係長を経て、4年後に副班長就任。さらに3年後、班長に就任。

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ストーリー 未分類

緑_アボカドチキンサンド

 くしゃくしゃの黒髪が、布団から顔を出した。

 カーテンの隙間から入り込む日差しはとうに中天へ差し掛かっており、秋晴れの澄明な陽光が寝起きの瞳をまぶたの下へ追いやろうとする。ごろりと体を転がし、腕で目を庇いながら、彼‒‒緑はカーテンの裾を掴んだ。

 ジャッ、とカーテンレールが音を立てて、部屋いっぱいに日が差し込む。ダンゴムシのように体を丸めた緑は、おずおずと布団から抜け出した。重たげに体を伸ばし、立ち上がるとあくびをしながら歩き出す。シパシパと目を瞬き、フェイスタオルをひっぱり出すと、洗面台に向かった。

 今日の彼は夜勤。夕方から夜通しの勤務で眠くならないよう、たっぷりと朝寝坊をしたところである。健全な若者の胃は、昨晩しっかり食べた夕食などとっくの昔に消化し終えて、次の食事を心待ちにしていた。

 冷水で洗顔して眠気を払った緑は、くうくうとやかましい胃に、ひとまずコップ一杯の水を流し込んで空腹をごまかした。冷蔵庫を開け、それから常温保存の食料をしまっている棚を開ける。そしてどちらの扉も丁寧に閉めて、次に開けたのはクローゼットだった。

 残念なことに、今すぐ食べられるようなものはなにも残っていなかったのだ。

 首元のゆるい黒のハイネックシャツと、黒のストレートパンツに、少し迷ってから着古したパーカーを羽織る。トートバッグに財布と部屋の鍵を放り込み、最後に忘れていた人工発声装置を首につけた。首輪のようなそれを慣れた様子で固定し、調節すると、緑は口を開く。

〈あ゛、あー〉

 やや割れた機械音が、それでも人の声らしい起伏をもって響く。一つ頷いて、緑は靴を履き、外へ出かけて行った。

 帰宅し、玄関の鍵を締めて、手を洗うに至った緑は、ようやく寝癖で爆発した頭のまま出かけたことに気づいた。しかし、済んでしまったことだ。仕方がないので、申し訳程度に髪に櫛を入れると、買ってきたものをトートバッグからテーブルへ出していく。顔を洗ってあっただけマシ、と思うことにしたらしい。

 ガーリックバターの染みたクラフト紙の包みと、黒々とした皮がつややかなアボカド、それから真空パックのサラダチキン。クラフト紙を開けば、そこには一人で食べるにはやや多いだろう、立派なバゲットが鎮座していた。パン屋を併設したスーパーが近くにあって、緑はその恩恵を余さず享受している。

 水切りカゴに立てたままだった平皿と、流し台下の収納扉に吊られた包丁だけを取り出す。パンナイフなどという洒落たものは持っていないので、ただの包丁だ。

 器用には動かせない右手で、開いたクラフト紙の上に置いたバゲットを押さえる。左手で包丁を動かし、バゲットの中心を縦に切り開いた。右手がべったりと油で汚れたのをよそに、包丁を置いた左手でオーブントースターの扉を開ける。少し迷って、右手でバゲットをつかみ、落とさないうちにオーブントースターへ放り込んだ。カリカリカリ、とダイヤルを回して三分間の加熱をセットする。

 トースターがふわりと熱色の輝きを滲ませた。

 どうにか油をつけずに済んだ左手で温水の蛇口を捻ると、緑は食器用洗剤で手と包丁を洗う。そしてその包丁で、今度はアボカドに刃を入れた。

 薄く固い皮がかすかに抵抗したものの、緑の手の中ですんなりと真ふたつに割られる。中心の大きな種へ包丁の尻を刺し、くいとひねって取り外せば、あっけなく種は外れた。クリームがかったグリーンが目に鮮やかで、どうやら傷みもない。親指で皮を内側から押せば、めろりと簡単に剥ける。追熟の加減も申し分なかった。

 皮を外し終えたアボカドの実を器に置き、緑は片方の種の窪みにチューブニンニクをエイヤと絞り入れた。粗塩を振り、ブラックペッパーをもさりと入れて、取り出したのはフォークだ。カチャカチャと音を立てながら、アボカドを潰し、ペースト状にしていく。

 あらかた潰し終わったアボカドの味見などしつつ、サラダチキンのパックを眺めて、緑はしばし固まった。

 ‒‒今更、まな板を出すのは面倒。

 ちょうどトースターが焼き上がりを告げたこともあり、ものぐさが勝った。

 指先を軽く火傷しながら、あらかじめ入れていた切り込みでバゲットを大きく開く。ばきばき、ざく、とよく焼けた硬い生地が割れる音で、緑の頬が緩んだ。具こそ柔らかいものばかりになってしまったが、歯ごたえも食べごたえもきっと十分だろう。

 開かれたバゲットの口へ、フォークでアボカドのペーストをこれでもかと詰め込む。あっという間に酸化して黒くなるし、さほど保存に向いた食材でもないのをいいことに、贅沢に丸ごと一個分のアボカドを使うのだ。みっちりと詰めてまだ余った半端をつまみ食いしつつ、ハサミでサラダチキンを開封した。指で裂きながらチキンをアボカドの中へ埋め込み、入り切らなかった分をやはりつまみ食い。はみ出して落ちかかったアボカドを口で受け止めたりなどして、ガーリックバターバゲットのアボカドチキンサンドは行儀の悪い完成を迎えた。

〈いただきます〉

 はみ出しを食べた流れで、そのまま食事が開始されそうなところを、一度皿に置いて手を合わせる。旧家に育った緑は、食前と食後の挨拶を忘れたことがない。

 そうして再度持ち上げたアボカドチキンサンドに、「いただきます」の礼儀正しさが幻だったかのような大口を開けてかじりついた。

 歯に当たるバゲットの皮は、中身の柔らかさに応じてふかりと沈み込む。しかし、食いつく力を強めれば、ばり、と音を立てて割れた。小麦とガーリックバターの香りに目を細めながら、もっちりとした弾力で抵抗する柔らかな生地を千切る。一緒に口の中へ招き入れたアボカドとサラダチキンが、しっとりとした塩気と油の甘さを広げた。熱いバゲットと冷たい具が中和しあって、しかしぬるくはならずに共存している。

 やはり作りたてを食べるのがいちばん。

 一口目を咀嚼しながら、緑は一人で頷いた。

 そもそもバゲットにガーリックバターがたっぷり染みているのに、アボカドにもニンニクを入れたのはしつこかっただろうか、と作りながら思った瞬間もある。が、なにも問題はなかった。ニンニクは旨い。

 わさびを入れても良かったかもしれない。サラダチキンをスモークサーモンにしてもおいしいだろうと、緑は次回の具を考えながら二口目にかぶりついた。

 なにを作るにしても、目分量なら胡椒は思っている量の三倍は入れろ。職場の食堂担当が、料理のコツを聞かれて披露した持論を、小耳に挟んでおいたのは正解だった。アボカドの青臭さを、溶け込んだ胡椒の風味がカバーしている。

 ピリリと引き締まった味に、涼しい顔をして主役をさらっていく、ジューシーなサラダチキン。焼いて混ぜて押し込んだだけのお手軽調理で、これだけ幸せになれるのだから、現代の食料品店の世話になれる環境で生きていてよかった、と緑は思う。

 鶏の胸肉を、自力でこんなにしっとりと仕上げるスキルなど持ち合わせていないのだ。便利なものは使えるだけ使うに越したことはない。

 黙々と順調に食べ進めて、気がつけばバゲットの長さも三分の一になっている。元気な胃袋は一本完食も苦ではないと息巻いているが、別の問題が発生した。

 アボカドのペーストを押し込むのに、片手が満足に使えない緑は、あらかじめ真ふたつにバゲットの底を割るようにして切れ込みを押し広げていた。結果、食べ進めていくうちにバゲットが左右に分解してしまったのだ。

 ボタ落ちしそうになる具と格闘しながら、こんな時ばかりは両手を上手に使えないことを惜しく思う。以前現場でサンドイッチの具を落として、やはり悲しみにくれたものだ。「他にも不便は山ほどあるだろうに」と先輩には呆れられたが、緑にとっては食の不便ほど悲しむべきことはない。

 残念ながら落ちてしまったアボカドを、なんとか皿で受け止めた。最後の一口になったバゲットで皿からアボカドを拭いとり、完食する。

 ティッシュで軽く手を拭い、拭った手を合わせて皿に一礼。

〈ごちそうさまでした〉

 真っ平らな腹に抱えていた空虚を旨いもので埋めて、白い頬に血色を浮かせた緑は、上機嫌で席を立った。

 少ない洗い物を済ませる間に、ケトルで湯を沸かす。マグカップ一杯のインスタントコーヒーで一息つく。多めのミルクでぬるくなったコーヒーを片手に、机に置いたスマートフォンでネットニュースを流し読みしていると、出勤時間まではあっという間に時間が過ぎた。

 大してこだわりもないが、だらしないと怒られない程度に髪を整え直し、支度を整えて玄関に立つ。

〈行ってきます〉

 無人の部屋に投げ込んだ挨拶の寂しさは、ドアを閉めて鍵をかければ追っては来ない。

 食堂でとる食事は野菜の多いメニューにしよう。

 さっき食べたばかりで、もう次の食事を思案する緑は、足取りも軽く社宅の階段を駆け下りて行った。

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就業に際して

超常分類‐危険度等級概略

呼称超常、超常存在
分類5階層
等級5等級4種
対処説得による「鎮静」「封印」
いずれも不可であれば強制排除を行う

分類について

1.「超常存在」

現代科学で説明のつかない存在、現象のすべてを指す。

2.「種別」

各々の性質や状態に応じて区別を行う。
例)

  • 怪異(現象機構型怪異)
  • 妖怪
  • 憑きモノ
  • 異界
  • 神域

3.「成り立ち」

該当の超常存在がどのように発生したものかによって区別を行う。
例)

  • 神話
  • 口伝
  • ネットロア
  • 呪い
  • 集合無意識
  • 非人為的現象

4.「種族」

同様の性質を持つ類似超常がいる場合は、それを一つの「種族」として分類する。
例)

  • ある程度名を知られている妖怪・妖精

5.「個体識別」

「種族」の中でも特殊事例が発生した場合、あるいは同様の性質を持つ類似超常が確認できない場合を含め、超常災害対策課によって認知される超常存在には個体識別を行う。多くは「日付」「案件番号」からなる記号により識別を行うが、被害・対策規模により「名付け」を行う場合がある。
例)

  • 18■■-戊子-0000238-「己津千」

等級について

2種の評価軸からなる対応難度の記号を組み合わせることで’等級を区分する。

想定される被害規模による危険度区分

A:死者100名以上規模の被害が見込まれる

B:死者99名以下規模の被害が見込まれる

C:死者10名未満の被害が見込まれる

D:怪我人、発狂者の発生が見込まれる

E:経済的被害のみ、あるいは無害

※放置した場合の年間推定被害者数

対話による平和的解決の可能性

1:当該超常に「意思疎通」の機能がない、あるいは確認できない

2:当該超常に「意思疎通」の機能は確認できるが、対話不可

3:当該超常に「意思疎通」と「対話」が可能だが、敵対的

4:当該超常に「意思疎通」と「対話」が可能で、友好的

等級表示例

  • 「己津千」:A-1
  • 「戌縫射」:A-1
  • 20■■-丁亥-0036524:D-3
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ストーリー

Case:1_小蜘蛛-3

 キクタニさんに言えばわかるって言ってたけど、ほんとかな。カナって言ってたしたぶん女性だよね。着替えとか、ロッカーの鍵持ってたりするのかな。
 内線をとって「連絡の代理を任されました、ミノワです!」と名乗った少女の声を聞いた時点で流れ込んできた情報に顔をしかめた。聞こうともしていないのに、電話越しの声に余計なものが乗っている。ということは、俺は今、能力の制御ができていないということだ。よくない。
「……うちの班長か?」
「言う前にわかられちゃったが」
「このところオーバーワークだったから予想はしてた」
 キクタニは俺だ、と名乗れば、えっ、あ、と邪推の気配。面倒なので放っておいて、簡単に状況を聞いていく。発熱、悪寒、関節痛。ほとんど緑と同じということは、共通した現場が原因だろうか。昨日倒れた緑は、家に帰しても一人だし、ただの風邪ではなく超常が絡んでいる可能性もあるということで、財団医務室内隔離の処置をされている。
 症状が出た者に接触した職員をリストアップしておいたほうがいいかもしれない……などと考えながら話を聞いて、班長を運んでくれた職員の班と名前を聞いておく。連絡をくれたのはなにかと有名なアルバイトの高校生で、班長を運んだのは直近の大規模作戦で負傷者の搬送担当だったらしい熊のような大男。名前はわからないと言っていたが、俺の方では心当たりがあった。あとは医務室勤務が一人。これは医務室側で管理されているはずだ。
 あといるとすれば、緑が吐いたあとを片づけてくれた芒種班の職員か。
「キクタニさん、大丈夫?」
「あ?」
「ガラ悪。疲れてるっぽいから」
「悪い。うちの班は体調不良が相次いでてな。仕事が偏ってみんな疲れてる」
「大変そう……上にも報告しとくけど、個別で連絡があるようなら班から直接よろしくね」
 お大事にね、と電話を切られて、受話器を置く。心配と少しの好奇心、それから出歯亀欲……を自然に押さえ込む気持ち。ささくれた神経にも比較的キツくない「声」だった。
 何の気なしについたため息が、地獄の底まで沈みそうな重く深々としたものになって、自分でぎょっとする。周囲が無音のままざわついて、なにかあったのか、大丈夫か、といつもは聞かないようにしている「声」が耳を埋めた。
 どことなく重い体を椅子から引きはがして、出勤状況のホワイトボードまで行き、班長のマグネットを引っ込める。水性マーカーで枠に書き込んだ内容を、全体に告げた。
「班長ぶっ倒れたぞー」
「まじか」
「やっぱりそれか」
「顔色やばかったもんな……」
 揃いも揃って素直な班員たちは、口に出した言葉と「声」がほとんど同じで、聞こえてしまっても気が楽なものだ。これが外だとこうはいかない。体調が悪くなればなるほど制御が効かず、聞きたくないもの程よく聞こえるようになるから、こういうときは誰もいないところへ引きこもりたくなる。
「どうすんの」
「カナ班長代理?」
「班長のご指名だから俺が諸々持って医務室行き……なのと、ぶっちゃけ俺も調子よくないんで、悪いんすけど最悪戻ってこないかも」
「んじゃ俺まとめとく。もう自分の着替えも持ってっちまえ」
「俺に甘過ぎでは? 助かるけど」
「あんな深々ため息ついといて、今更気を使うんじゃないよ。緑もまだ医務室隔離でしょ? んで班長とカナが体調崩すってことは、今週頭の現場がまずかったんじゃないの」
 昨日食った生牡蠣が中ったんじゃないか、と言うようなノリでサラリと呪詛や瘴気汚染の可能性を出してくる班員に、肩をすくめる。触れ続けているわけでもないのに遅れて効いてくる呪詛や瘴気に、ろくなものはない。
「それは俺も考えた。あの現場踏んだのは、あと……椎葉と渋木だよな。あいつら今日は公休だけど」
「一応連絡しときますよ」
「頼む。高崎、医務室にチャットでNo.#####の報告書送っといてくれるか。あそこ調べた現調と、後始末で関わったやつもこれから倒れるのが出るかもしれん」
「うぃす」
「椎葉と渋木が連絡取れたら、緑が倒れたときに廊下片づけてくれた芒種の班員確認して医務室に流してくれるか。解析まだ出てないけど、伝染するやつだったとしたらそっちも様子見といたほうがいいかもしれんし」
「アイアイ」
 自分が喋っている間は、耳に意識が行かない。それを知っているから、班の人間は俺が参っているときほど俺に喋らせてくれる。
 班長から預かっているロッカーの鍵を開けて、泊まり込みセットのカバンを引っ張り出し、出勤時に持ってきていたショルダーバッグと一緒に持つ。班長のロッカーを閉めたら自分のロッカーを開けて、同じように荷物をまとめた。自席のパソコンは電源を落として、ほとんど退勤の支度と変わらない。
「俺担当の報告書、まだ完成してないけど共有フォルダに放り込んであるから、問い合わせとか来たらそれ見てくれ。大筋は全部書いてある。詳細だったら……」
「おっと、仕事用の携帯は置いて行け」
「そうだよ、他班からかかってきて鳴ったら医務室の迷惑でしょ」
「報告書大筋までできてんなら万々歳だよ。いいからさっさと行って休め」
 誰がこれ以上お前に仕事を渡すものか、と「声」が揃って、次の瞬間にはポケットに入れていた仕事用の携帯が転移能力者の手の中にあった。わやわやと押し出されるようにして送り出され、二人分の荷物を担いで一人で廊下を歩く。
「……優しいよなぁ」
 誰一人として、「聞かれたくないから早く追い出そう」などと思ってはいなかった。聞こえてくる「声」は全部が俺を心配するもので、制御が効かなくなった能力を恐れ嫌うものは一つもない。
 これだから、この職場は居心地が良すぎて離れられないのだ。人が少なくてちょくちょくオーバーワークになろうが、オバケや呪いやその他諸々危ないものや場所に生身で飛び込まされようが。
「お人好しどもめ」
 人の少ない経路を選んだのに、二人分の荷物を抱えているのを見た他班の職員がこっちへ駆けてくる。向こうが口を開く前から聞こえているのだ。「具合悪そうだから手伝ってあげよう」と。お人好しはうちの班に限ったことではない。

 どうせ大した荷物でもないので、手助けは丁重にお断りした。
 そう時間もかからずに医務室へ到着し、所属と名前を告げて班長が寝かされているベッドまで行く。先に運び込まれて隔離されていた緑の、隣のベッドだった。
「感染症の検査はしましたが、二名とも病原の検出はなしです。試しに置いた形代に汚染反応が見られるので、やはりなにか呪詛や瘴気汚染を受けていると」
「やっぱりか」
「先ほど班の方から連絡がありました。同じ現場で対応された班員の方にはまだ連絡が付かないそうで、確認でき次第改めて報告すると……話が早くて助かります」
 班長のベッドにつくまでに、簡単な状況の報告をもらった。見当をつけた案件の報告書は既に社内チャットで受信しているらしく、該当の現場に原因が残留していないか、調査を要請することになったのだという。
「なんでこの区画、ベッド三つあるんだ?」
「班の方から連絡をいただいた際、班長の荷物を持って行く者が先の二人と同じ現場を踏んでいるとおっしゃっていたので、いらしたらそのまま隔離できるように用意をしました。連絡中のもう二人については、定員の関係で別区画になりますが」
「……そこは野郎四人と班長で分けるとかさ」
「班長さんはおひとりになりたくないとおっしゃっていまして」
「班長~……」
「我々としても、現在少々忙しいので。急変の可能性がある人を一人にはしたくないんですよね」
「わかった、わかりました」
 もとより、班長のそばが嫌だとか、そういうことはない。二人きりではなく緑もいるし、ぐったりと枕に頭を預けた班長を見るに、見境なくテレパスを飛ばせるほどの体力もないだろうから、内心が丸聞こえで困るということもないはずだ。
 熱を出して汗をかいているため、現在制服で寝かされている班長は着替える必要があるということで仕切のカーテンが引かれた。俺もしっかり調子を崩していることを班から医務室にチクられていたので、楽な服装に着替えてさっさと横になるよう指示される。
「山古班長、菊谷さんが荷物を届けてくれましたよ」
「……カナ?」
「お隣でお休みの仕度されてます。班長さんも楽な格好に着替えましょうね」
 熱で手に力が入らないのだろう。介助されながら着替えを進める衣擦れを聞きながら、俺はベッドに腰掛けた。目の前には書類も電話も符もなく、物騒な超常用語と人の内声が飛び交うざわめきもない。
 ああ、仕事を離れたんだ、と実感した瞬間にどっと疲れがのしかかってきた。空気が抜けたように背中を伸ばしていられなくなり、へなりと自分の膝へ肘をついてかろうじて上体を支える。
 ――カナ。
「班長、それ体力使うんだから、今は静かにしててくれっす」
 テレパスへカーテン越しに返事をして、のそのそと着替え始めた。制服ブルゾンの鳩目ボタンを外すのさえ妙に固く感じて、仕事に戻れない可能性を先に言っておいて良かったと実感する。ポケットの中身を引っ張り出してサイドテーブルへ置き、ゴツいジッッパーを下ろして脱ぎ落としたブルゾンを、肩の位置も合わせずハンガーに掛けた。いつもならサイドテーブルに置くものはちゃんと並べるし、脱いだ服もハンガーに掛けるときは肩位置を合わせるが、今はもう全部面倒くさくてたまらない。
 ――お前のことだから寝る前に報告をとか考えてるんだろうが、回復してからでいい。早く横になれ。
「だから、」
 寝る前に引き継いできたことの報告をしようと考えていたことがバレているのも、班長が俺を気遣ってくれているのもわかるが、体力を消耗するテレパスでそれを伝えてくることに異論を唱えようとした。膝についていた肘を片方持ち上げて、シャツを脱ぐべく指先をボタンにかけたところで、もう片肘がずるりと滑る。
「あ」
 意外と頭というのは重くて、一度重力にとらわれてしまうと引き上げるどころか落とさないよう止めることさえ難しい。かろうじて肩から落ちるように受け身をとったが、それでもしっかり頭をぶつけたし、気がついたときにはほこり一つないベッド下のリノリウムが視界を埋めていた。杢の薄いグリーンがちかちかと明滅している。
 床の冷たさが肌を刺すようで、それでやっと自分がここ数年出したこともないような高熱に冒されていることを知った。
「っぐ……」
「菊谷さん?」
 ーーだから言ったんだ。
 精々、明日あたり熱を出すかもしれない、と思う程度の不調だったはずだ。それが、こんなに唐突に、文字通りぶっ倒れるほどの高熱を出すものか?
 班長のベッドとの間を仕切っていたカーテンが開き、白衣がのぞき込んでくる。熱のせいで上がった内圧に、頭蓋を叩き壊そうとするような痛みが激しく自己主張を繰り広げ、視界がかすんだ。ぶつけた痛みなどそっちのけで、目頭に熱が溜まって涙が滲む。
「……っは、はぁ、ひゅ」
「班長さんも倒れる寸前までは、あと一日くらい保つだろうと思っていたそうなんですよ」
 あらら、と苦笑するような調子で俺を助け起こした、白衣の手がいやに冷たい。服越しの人間の体温に悪寒を覚えて、身震いする。
「だから引継だけはやって、帰ったら早く休もう、と思っていたところで倒れられたようで。……ああ、これはひどい」
 目を開けているのさえしんどくて、瞼を閉じれば涙がこぼれた。
「ちゃんと計った方がいいですけど、この熱では寝るに寝られないでしょう」
 着替えついでに解熱剤を入れましょうね、と至極優しい声がして、朦朧とした頭にわずかな正気が警報を発する。
 ――ご愁傷様。
 班長のテレパスが哀れみと心配を半々に配合した声で告げた。
 息も絶え絶えで自力では座ってもいられない高熱の人間に、解熱剤を、「入れる」。
「ま、って」
「動かないでくださいね、今熱計りますから」
 ときとして野戦病院のような有様になるこの医務室の人間は、基本的に躊躇というものがない。最善がわかれば即座にそれを実行するだけだ。
 つまり、俺は解熱剤を経口摂取ではなく、座剤で投入されようとしている。
 奇跡が起きて解熱剤がいらない体温であれ、というむなしい祈りが届くことはなく、白衣は俺の耳に当てた体温計が一瞬で出した温度を読み上げた。
「40.2℃。……駄々をこねていい体温じゃありませんよ」
 必死になって首を横に振っても、めまいが増すばかりだ。
「今着ている服は脱いでしまいましょうね、寝るには窮屈ですから。……さ、少し寒いと思いますけど」
 容赦なくシャツのボタンが外され、はだけられていく。極々効率的に、ベルトが外されズボンが引き抜かれた。
「お持ちの寝間着は少し着せづらいので、お着替えできるようになるまでは検査着で我慢してください」
 抵抗もできずに服を剥き取られ、巻きワンピースのような検査着を着せかけられる。ノリの利いたリネン地が肌に痛い。
 茹ですぎたうどんよりもくたくたの体を、白衣はどうやってか上手く転がしていく。気がつけばうつ伏せにされて、ひざをついた状態で検査着の裾をめくられていた。オフィスよりも高い温度に保たれているはずの室温がひたすらに寒くて、手も息も震えるし、全身に鳥肌が立ちっぱなしなのを感じる。
「ちょっと冷たいですけど、一瞬で終わりますからね」

 ずり下ろされていた下着を律儀に直されて、検査着の裾を整えられ、布団を被される。すん、と鼻をすすれば、隣から小さな声で「おつかれ」と労われた。テレパスではなく本物の声だったので、少し安心する。
 枝でつつかれた芋虫のように小さく丸まれば、自分が一つの熱の塊になったような気分がした。ちっとも楽にはならないし、逃げていかない熱が集まるくせに寒気が引くわけでもない。しかし問答無用で座薬をつっこまれたばかりの身としては、整えられたとおりに仰向けに体を伸ばしてリラックスなどできる気はしなかった。
 ――いちばん後から来ていちばんひどい目に遭ってる。
「うるせぇぞ緑……」
 緑はテレパス持ちではない。今のは単に、緑が内心で考えたことを、感度がバカになった俺が勝手に聞いてしまっただけだ。普段は聞かないようにしているし、聞こえてしまってもそれに返事をしたりしないのだが、とにかく今は思考に割ける余力が少なすぎる。
「聞こえたものに反射で返事するな、危ないだろうが」
 まだ力の入らない様子の班長が、隣から呆れた声で注意してきた。この仕事を始めたとき、最初も最初にたたき込まれたお化け対策の鉄則も、体の方が追いつめられていると抜けてしまう。
 熱に浮かされた呻き声なのか、それとも返事なのか、自分でもわからないままに「うぅ」と声を漏らして、さらに体を丸める。情けない。
「対症療法にはなりますが、形代に瘴気を移すと楽になられるようです。こちらに息を」
 人の形に切られた白い和紙を差し出され、フウと息を吹きかける。瘴気汚染の強い現場に向かうときは、いつも持ち歩くものだ。使い方にも慣れている。
「吸い上げ始めてから効果を感じられるまでしばらくかかります」
 ――でも効き始めたらかなり楽になるんで。
 ――効くまで寝てな。元々汚染食らう前に予防で使うもんだから、後手だと効きが遅い。
 ――それにしても、熱ばっかりか……この前の現場はたしか、
 緑の思考がつらつらと流れ出すのを聞いているうち、少し遠いカーテンが揺れる音を拾う。
「……なんだ緑。ン? ……そうだな、あそこはやたらと蜘蛛が巣を張っていたが」
 ぼんやりした班長の声に、白衣が歩み寄る足音。
「お喋りしてないで寝てください、落ち着いてきたとはいえ、快復したとは認められないんですから」
「まあ待ってくれ、根治の手がかりが掴めそうなんだ。報告書を……」
「聞こえませんでしたか? 寝てくださいと言っているんですよ。その辺探るのは我々の仕事です」
 まるきり修学旅行で消灯を過ぎても騒ぐ学生を叱る調子だ。白衣の声には険があって、少し神経に引っかかる。
「たのむ寝てくれ……俺が寝らんない……」
 ――ほれ見ろ!
 鬼の首を取ったような白衣の内心が聞こえてつい笑う。
「どうせその思いつき試すにしても、緑がもうちょい体調良くないと実行無理だろ……」
 精神的にキツい思いをして座薬ぶち込まれたおかげか、とっとと薬の効き目が出てきて眠気に襲われ始めた。
「さっき班から送った報告書と、緑の憑き物の逸話と、要素の整合とれるかちょっと……頭はっきりしてる連中で検証……」
「了解です」
 くらくらと小舟のように揺れる感覚から逃れるように目を閉じ、俺は眠気に任せて意識を手放した。

 そうして次に目を開けたとき、俺の目の前にあったのは、緑の憑き物であり武器でもある刀の切っ先だったわけだ。
「間の悪い男だな本当に」
「今まさに文字通り寝首をかかれようとしてる部下見て言う言葉か!?」
「まあ落ち着け、まだ憑かれてるんだ。体もキツいだろ」
 無理矢理起こしかけた体を班長の手のひら一つでベッドへ戻され、ぽんぽんとあやすように胸元を叩かれる。熱はさっきよりましになったが、消耗した体力はまだ戻っていない。
「憑かれ……?」
<寝る前に言ってた思いつきが、当たってたっぽいんで>
「どうも現場から熱病の蜘蛛を持ち帰っていたようでな。連絡が付かなかった椎葉と渋木もどうやら倒れてるようで、さっきあいつらの端末から異常通報が入った。装備を調えた実行班が回収に向かってる」
 班長も緑も、寝る前に見たときより随分顔色が良くなっていた。寝る前の思いつき、蜘蛛、ということは、現場からうっかり持ち帰った蜘蛛にとり憑かれて熱病に冒されたのを、伝承通り「蜘蛛切」の刀で祓ったのか。
<先に自分で試して、なんか出たのが斬れたんで行けると思って>
「なんか出たってお前」
<具体的には>
「いや今俺にやろうとしたことだよな? ザ・自害だよな? よく医務室が許したな」
「許した覚えは微塵もないんですよ」
 しゃっとカーテンが開いて、白衣が顔を出す。
「こちらはこちらで、指示されたとおり調べ物をして、試す価値ありと判断して彼が起きるのを待っていたんです」
 そうしたら、起きるやいなや太刀を出して自分を切りつけて、泡をくって出てきた蜘蛛を一刀両断。続けざまに班長にも刃を触れさせ、姿を現した蜘蛛をこれまた膾にした、と。
「物音に気づいた医務室連中が大騒ぎするんで起きたら、だいぶ体は軽くなってるし喉元は斬れてるしで笑っちまった」
「笑いごとではないが?」
 よく見れば緑はハイネックのプルオーバーから検査着に着替えて、首にはがっつり包帯を巻いているし、班長は前開きの寝間着の襟からチラチラとでかい絆創膏を覗かせている。
「斬るにしても、憑き物落としの符を用意するから待てと言いたかったのに……しかも言ったのに菊谷さんに切りかかってるし」
 白衣は憤懣やるかたないとばかりに腕組みをして怒りを露わにした。
「だってカナが」
<苦しそうだったし、長引くほど体が疲れる>
「殺す気はなくても殺気と一緒に刃を触れさせなきゃ追い出せないだろ? 怖い思いさせるくらいなら寝てるうちにやってやれと思ったんだが」
<起きちゃったし医務の人も来ちゃった>
「俺は今心底安心してる」
 白衣を拝むようにして礼を言えば、白衣は頭の痛そうな顔をしてうなずいたし、班長と緑は不服そうに拗ねて見せた。
「薬も効いてるし、形代も瘴気吸い始めてちょっと楽になってきてるんだから、少しくらい待てるだろ」
<あんなに急に悪化して倒れるんだから、ここから急変がないとは限らないんじゃないですか>
 なくはなさそうなことを言われて言葉に詰まるが、白衣が手を叩いて割り込んでくれた。
「負担とリスクの少ない手段が用意できたんですから、そちらを使ったらいいでしょう」
 緑だって、班長や俺に刃を向けたいわけではないだろう。自分が最前線に出るだけに、後ろに控える俺たちが流れ弾を食らって怪我をすることさえ悔しそうな顔をするのだ。自分の手で急所に傷を、となれば精神的な負担も大きい。俺だって、あまたの化け物をずばずば斬り飛ばしてきた歴戦の白刃が自分に向いているのを見るのは、使い手を信頼していても怖い。
「形代が瘴気を吸って、蜘蛛は弱っていると思われます。憑き物落としの符で引き剥がして封印しますから、その物騒なのをしまってください」
<剥がすときの抵抗で先輩が傷つくようならおれが出るんで、全部片付くまで納刀できません>
「よく慕われておいでで」
「ありがたいこって」
 過激派ファンみたいな挙動をする緑に苦笑いをして、俺は改めて仰向けに横たわり、姿勢と呼吸を整えた。
「出てくるまで見えないのか」
「そもそも現場帰りを確認する見鬼たちが見逃しているので、存在感そのものはかなり薄いんでしょう。さぞかししょげるだろうなぁ……」
「伝え方には気をつけてやってくれ」
「優しい~」
 軽口を叩きながら気を落ち着かせる。正直なところ、自分が憑き物落としの対象になったのは初めてだ。過去案件でこの符を使っているところを見たことがあるが、宿主側の人間がえらくもがき苦しんでいたものだから、情けない話だが少し怖い。
 班長は医務室の人が立てる物音で起きたと言っていたから、もしかしたら刀で脅して蜘蛛を自主退去させるやり方は全く痛みがないのかも。そう思ったら、うっかり目を覚ましてしまった自分を呪いたくなる。
「気の滅入ることを考えちゃだめですよ」
「努力はする」
「剣巻さん、菊谷さんに蜘蛛足の置き土産とか残されたくなかったら符を剥がし終わるまで手を出さないでくださいね」
<……>
「いや頼む、おとなしくしててくれ」
 封印を専門にしている班は別件で忙しい。剥がすまでは医務室の連中も慣れたものだが、サンプル採取以上のしっかりした封印には慣れていないらしい。ひとまずの封印は行うが、安全に収容できそうになければ緑の刀で滅してしまうということで段取りを組んだ。
 医務室の奥から白衣が数人増えて、めいっぱい人を安心させようとしているのがわかるどこかぎこちない笑顔で俺の手足をつかんでベッドに押しつける。
「あー、その……実行の中ではモヤシだから……そんな暴れらんないと思うけど……」
「念のためです、申し訳ないですけど」
「痛みで大暴れしちゃう人はいるんですよー」
「実行のモヤシは我々のゴリラ」
「機動の中ではモヤシと言われても安心はできないでしょう」
「なるほど確かに」
 納得させられてしまった。専門が異なれば必要になる能力も違う。俺も後方とはいえ現場に踏み込むだけの体力と物理力を持っているのは確かだから、彼らにとっては熱と瘴気で弱った俺も脅威……やっぱり物々しすぎないか? 手足一本一本に一人ずつ乗っかって来てるが?
「強くつかみすぎて痣とか残さんでやってくださいよ。うちの大事な受信機、繊細なんでな」
「そこはもう」
 腕肩と腿にかかる人の体重を感じながら、憑き物落としの符を持った白衣を見る。場を清める祝詞に、異物の排除、穢れの封印を願う言霊が続いて、力を込められた符が淡く光った。
 覚悟を決めて目を閉じたところで、胸の真ん中にカサリと紙の音がして、ぐいと手のひらが押しつけられる。ここへ来たときにはひどく冷たく感じたはずの人肌の温度が、符を通したら焼け付くほどに熱い。
「……っ、う、ぁ」
「耐えてください、捕まえましたよ」
 唯一自由な首を振って、声を押し殺しても呼気に呻きが乗る。
 じりじりと癒着した火傷をむしり取るような感触に、動きそうになる体を四人がかりの拘束が揺らぐ。慣れない力仕事をさせることに申し訳なくなるが、自力で抑えようにも勝手に手足が跳ねるのだ。
 まるで湿地で草の根を抜くような、ズッ、とした感触で胸に当てられていた熱の塊が離れていく。
「・っ」
「出た!」
「封印!」
 熱と痛みの余韻に息を荒らげる俺をよそに、手足を押さえていた白衣たちが憑き物落としの符を囲んでパンと手を打つ。符に封じられていた財団標準封印術式が解放されて、床にひっくり返った蜘蛛に重ね掛けされた。
「カナ、生きてるか」
「痛っ……てぇけど、一応」
 人だかりの向こうへ引っ込んでいた班長が、冷えた濡れタオルを持ってきて俺の額に浮いた汗を拭ってくれる。
「泣かなかったな、えらいえらい」
「ガキ扱いやめろください」
 荒くなった息をどうにか整えて半身を起こせば、蜘蛛を囲んでいた人だかりがワッと沸く。
「四重だぞ」
「私たちの封印じゃ時間稼ぎしかできないかー」
 どこかのんきな白衣の声をかき分けて、緑の後ろ姿が割って入っていく。
 鞘走る音もなく、ただ空気を切り下ろす音のあとにかすかなリノリウムを打つ音がして、シュンとなにかが霧散する。
「貴重なサンプル!」
 悲鳴を上げた白衣に、緑が端末の画面を見せる。
 ――安全に収容できなければおれが滅する手はずでした。
 多分聞こえてきた内心と同じことを打ち込んであるのだろう。画面を見た白衣は額に手をやり、肩を落とした。
「まだ二人運ばれてくるだろう」
「菊谷さん以上に状況に余裕がなさそうな気がしますけどー」
「一体くらいサンプル残せたらいいけどな」
「どうせまた件の現場に行って根本をどうにかするんだろ? この蜘蛛の生態くらい調べてから行かせてやりたい」
「というか気づかれないでとり憑けるとかヤバいから、現場行くなら予防策要るでしょ」
「んん~~」
 わいわいと額をつきあわせて頭を抱える白衣の連中を置いて、緑がこっちへ戻ってくる。残滓なんか残したこともない太刀を血振りしてから見えない鞘に納めて、少し落ち込んだ顔をしていた。
「……ありがとな、あのまま逃がしてたら他の人に憑いてたかもしれないもんな」
 かわいいもので、一言声をかけてやれば「ぼくはおしごとがんばりました!」の顔になる。
「しかしまあ、揃いも揃ってなんで気づかなかったんだろうな」
「抜けてみたら体調崩す前より絶対調子いいし、憑かれた直後からなんか吸われてたとしか」
<椎葉さんたちのも斬っちゃったほうがいいかな>
「俺たちも斬ったり避けたり閉じこもったりはできるけど、対象を閉じこめるのは下手くそだもんな」
 白衣たちをよそにこっちでもわやわや今後のことを話し合っていたら、白衣たちが一斉にこっちを向いた。
「病み上がりが次の仕事の話してんじゃないですー」
「寝ててください」
「憑き物が落ちても消耗させられた体力は休まなきゃ戻らないんですからね」
「そもそも過労気味だって聞きましたよ」
「憑き物にかこつけて余計に休んどくくらいの気概を持ってほしいですー」
 口々にワーカホリックを責めながら、班長と緑をベッドに押し込み、俺の検査着をはぎ取る。
「おあぁ」
「結局また汗かいたし、着心地も良くないでしょう。持ってきた寝間着に着替えてください」
「剣巻さん、班の方が運ばれてきたらちゃんと起こしますから、今は寝てください」
「班長さんもちゃんと起こしますよ」
「ええはいはいわかってますともいいから寝てください」
 どんどん雑になっていく説得を聞きながら、もそもそと着替えを済ませ得てベッドに潜り込めば、「ほら! 菊谷さんはもう寝るそうですよ!」とすかさず実況を入れてくる。まるきり幼稚園児の寝かし付けのようだ。
 解熱剤と熱にやられて随分寝たと思ったのに、憑き物落としでまた疲れたのか、この騒がしさの中でも眠気が降りてきてくれる。
 次に起きたときにはまたいろいろと考えたり動いたりしなくてはいけないだろうから、寝ておけと言われるうちはしっかり寝ておいた方がいい。
「寝とかないと次仕事させてもらえなくなる……」
 意識を落とす間際に一言こぼしておけば、夢の中は驚くほど静かだった。

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ストーリー

Case:1_小蜘蛛-2

 声が聞こえたのは、偶然その通路を通ったからだ。
 ――このテレパスは、半径八メートル圏内のみに飛ばしている。
「なんだ?」
 テレパス。「今あなたの脳内に直接話しかけています」というやつだ。この財団にテレパスを扱える職員は数人いるが、「思念」ではなく「音声」として聞こえてくるタイプで、私が聞いたことがあるのは一人だけ。現場経験をもっと積めば、ほかのテレパス能力者の「声」も聞くことがあるかもしれない。が、これは私が唯一知るテレパスの「声」に違いなかった。以前大規模作戦に引きずり出されたとき、統括からの指示を全体へ伝えていた声だ。低く、はっきりとした、中性的な声に覚えがある。
 しかし今聞こえたのは、疲れ切ったように弱々しい、それでもどうにか事務的な体を崩さずに必要事項を伝達しようとする声だった。現在財団施設内で問題が発生しているという情報はなかったはずだが、なにかあったのだろうか。
 ――A-2通路にて、大暑班長山古、行動不能。原因は体調不良によるもの。付近を通行している手すきの職員は、申し訳ないが医務室への同伴を願いたい。
「っ、ハァ!?」
 テレパス能力の持ち主、その本人がさっき通り過ぎた分岐通路で身動きがとれなくなっている。
 背後、廊下の端の方からリノリウムを叩く音が聞こえてきて、私以外にもこのテレパスを受け取ったものがいることを知った。物言いがぶっきらぼうで、伝達のときでなくとも男のような無愛想な口のききかたをする人だが、あれで結構、自班の外からも人気のある人だ。助けてくれと言われれば結構な人数が即座に応と答えるだろう。私も背後で角を曲がっていった足音を追いかけて、A-2通路へ入った。
 この時点で山古班長のところには私を含めて三名の職員が集まっていたのだから、テレパスの範囲を半端とも言える広さに絞った彼女の判断はきわめて的確だった。棟内全体に発信していたら、二桁は職員が集まってきていただろう。

 山古班長は隠れていたわけではないので、柱の陰に寄りかかってぐったりと座り込んでいるのはすぐに見つかった。
 向かい側から駆けてきたのはおそらく学校が終わって出勤してきたばかりだろうアルバイトの少女だ。目立つ色のバンダナと大きく揺れるポニーテールが、どこか犬を彷彿とさせる。彼女がしゃがみ込んで山古班長の様子を見ようとするのを、先にA-2通路へ入っていたひょろ長い職員がとどめ、こちらを振り向く。
「ちょうどいい。我々では少々非力でな」
 どうやら私は搬送係を任されるようだ。ありがたいことだ、この体格と腕力くらいしか大して役に立つ人間でもない。ほかを担当してくれる人がいてくれて助かった。
「班長。山古班長。テレパスはもう止めていただいて大丈夫です」
 ひたひたと頬を叩き、冷たい床と壁にもたれ掛かった体を支え起こした職員は、くつろげられていたブルゾンの襟元から山古班長の首へ手を沿わせた。息苦しくてジッパーを下ろしたのだろう、時折しゃくりあげるようにひきつりながら、粗く吐かれる息が痛々しい。熱と一緒に脈をはかっていた職員は、険しい顔をしてアルバイトの少女へ「連絡係を頼めるか」と指示を出す。
「発熱がある。……それから、さっきまでのテレパスの内容だ。寒気、関節痛。自力で移動が難しいほど消耗していていることも。医務室と、大暑班の内線へ」
「了解しました!」
 素直な少女はすぐに端末を取り出し、まずは医務室へ連絡を取り始めた。
「君、傷病者の運搬経験は」
「直近の大規模作戦で少々……処置ではなく、ただ運ぶだけでしたが」
「それは少々とは言わないだろう。あれはひどかった、むくつけきゴリラどもが山のように運ばれてきて」
「はは……」
「私は先に医務室に戻っているよ。揺らさないように連れてきてやってくれ」
 コーヒーを買いに、白衣を脱いで出てきたついでに散歩をしていたところだったという。私は彼が支え起こしていた体を引き取り、「失礼」と声をかけて膝裏に腕を通す。風邪だとしたら、呼吸器を圧迫しかねない運び方は咳の発作を誘発するかもしれない。背と膝を支え、いわゆるお姫様抱っこの形で立ち上がれば、医務室を根城にしているらしい彼はうなずいて踵を返し、走って去っていった。
「苦しそ……」
「息も荒い。……救難だから状態の申告は必要なものだが、あれほどつらさを直接的に訴えていたということは、よほどなのだろう」
 医務室への連絡を終えたらしい少女が、心配そうに私の腕の中の山古班長を見つめる。だらりと垂れていた腕を体の上に乗せてやったかと思うと、「手ぇつめたっ」と眉を下げた。額に張り付いた前髪も避けてやる細い指先は丁寧で、気遣わしげだ。
 力の入っていない体は、私の胸までしかない身長で私よりも大きく見える普段の堂々たる様子からかけ離れて軽く、服越しにも熱い。ひそめられた眉根ときつく閉じられた青白い瞼が薄く滲んだ汗に湿っていて、気の毒になる。
「あと大暑に連絡するけど、一応上にも報告入れとくね」
「そうしたほうがいいだろうな。大暑は実行でも忙しい班だし、山古班長は班の仕事以外にも呼ばれて現場に出ることも多いと聞く」
 よろしく頼む、と彼女に告げたところで、腕の中から蚊の鳴くような声がする。テレパスではなく、はふはふと忙しない息に混じった本物の声だ。
「なんて?」
「すまない、と」
「責任感強すぎぃ……」
「上が仕事回し過ぎだってことを忘れないでください、山古班長」
 私の腕と胸板へ頭を預けて黙りこくってしまった山古班長を抱えたまま、ひとつアルバイトの少女と目配せを交わす。
「上に報告するときちくちく言葉使っちゃダメかなぁ」
「やめときなさい」
 薄く開いた瞼の隙間からのぞいた青い瞳が、じわりと潤んでいるのを見て、やはり上には少々きっちりと言ったほうがいいような気がした。
「……今日、……さっき終わらせたやつで、おちついた、から」
「それ仕事が落ち着くまで無理してたってことでしょ」
 自己管理が、と山古班長が自分を責めそうなことを言いたくはない。上手い言葉が思いつかず、口を結んだまま医務室へ足を進める。
「班に連絡するけど、持ってきてほしいものとかある?」
「人事、評価表……まだ……」
「却下! 着替えとか持病の薬とか気に入ってる飲み物とかの話してんの!」
 キャン、と吠えた少女を目線でなだめて自分の手元に視線を落とせば、山古班長は再び目を閉じていて、苦笑いの形に口をゆがめていた。
「カナ……菊谷って、やつに」
「班長が倒れたよって言ったらわかる?」
「、はず」
 おっけ、と少女は再び端末を操作し始め、足を止める。黙礼して足を早めれば、すっかり静かになってしまった山古班長が、いくらかして重そうな瞼をゆっくりと開ける。
「きみ、あと、あの子……所属班と名前は……」
「今余計な情報頭に入れるとつらくなるでしょう」
 よけいって、と不満げにぶちぶち言っているのは聞こえないふりで、黙って医務室へ向かう。揺らさない程度に最速で。
 医務室の彼は、もう準備を済ませているだろうか。

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1話 ストーリー

Case:1_小蜘蛛-1

 後輩の緑は、普段からなにを考えているのだかよくわからない男だ。しかしそれにしても、今日の顔は一段とわかりづらかった。
「緑、お前、調子悪い?」
 食後、というかもう午後の短休憩に入ってもいいくらいの時間帯になって、胸元から喉元までをさする仕草を見せた緑に、問いかける。
 いつもなら、これくらいの時間になると腹を空かせているのだ。さすさすと腹をさすっていることがある……が、それはさっき手を上下させていた場所よりももっと下、胃のあたり。違和感をなだめようとする手の動きは、空腹のせいではない。
<……?>
 きゅう、と小さく結ばれた唇が、常より強ばっている。
 つばを飲み込んで、胸元をさすり、俺の問いかけには「よくわからない」といった風に首を傾げて見せた。声帯の代わりに機能する外付けの発声器は、言葉を紡がない。若干、呼吸音が耳についた。
 自覚できないほど症状が弱いなら、さほど深刻なことにはならないだろう。そう思って、先を歩く班長に追いつこうと、緑の背を押したときだった。
<……>
 ぐ、と背を押した手に抵抗があり、見れば緑が足を止めている。どうしたのか、と俺が口を開く前に、しゃっくりのように背が震え、緑の喉からは声ではない音が漏れた。
 きゅ、ウ、と呼吸のなり損ないが鳴って、それから、ごぷ、と重い水音。
<え゛縺オ縺」縲√≧……ッ>
「緑?」
 発声器からは、声ともつかない異様な機械音が出た。
 異変に気づいた班長が、踵を返してこちらに戻ってくる。
 唐突に毛玉を吐く猫のように、うつむいて背中を波打たせていた緑は、三つ目の波が過ぎたところでふらりとその場にへたり込もうとした。
「オッ……と、待て待て」
 ただでさえ立ったままえづいて戻していたのだ、床には大した量ではないとはいえ戻したものが落ちている。そこへそのまま膝を付かせるわけには行かず、背中をさすっていた手を脇へ突っ込み、引きずるように吐物から距離をとらせた。
<……?>
 羽交い締めの形で引きずったまま、一緒に床に腰を下ろしてやれば、緑は荒い息の下で静かに混乱しているようだった。立とうとしているのか、床を探るように手を動かすが、全く俺の手をふりほどけずに、指先がふらふらさまようだけだ。じとり、額には脂汗が浮かんでいる。
「腹に来る風邪か?」
「のわりに昼はいつも通り食ってたはず……」
 動くな、と言って緑の額に手を当てた班長が、わかりやすく眉間にしわを寄せた。
「今週の衛生係、どこの班だったか」
「芒種です」
「連絡する。掃除は任せることにして、緑を医務室に」
「了解」
 同じタイミングで同じものを食べた俺や班長がなんともないのだから、食中毒の線は薄い。あるとすれば、緑がよそでやっかいな病気を拾ってきたか、もしくは踏んだ現場で瘴気や呪いに中てられたか。
 疲れた顔をしている緑は、ようやく自分が体調を崩したということを理解したらしい。無抵抗で口を拭かれて、「立てるか」と聞きながら肩を貸せば素直に体重を預けてきた。俺と背丈はあまり変わらないが、普段最前線を駆け回る刀使いの筋肉が重い。
<口の、中が>
「気持ち悪いよなぁ。医務室行く前に手洗い場で口濯ぐか」
 ため息のようにうなずいて、緑はのろのろと足を動かした。ほんの数メートルをつらそうに歩く最中、芒種班から何人か走ってこちらに向かってくる。新聞やら除菌剤のボトルやら、しっかりと準備をしてきているようだった。
<すみ、>
「お大事にね!」
「暇してたから気にしないで!」
「顔色酷いな、ちゃんと休めよー」
 緑が一言言い終わる前に、怒濤の気遣いが駆け抜けていく。大体が成人してから門戸を叩くこの財団で、高校卒業と同時に飛び込んできた緑は、今になっても弟のようにかわいがられているのだ。
 後ろから、「吐いたものは片したら一応医務室に持って行ってくれるか」と班長の声がする。原因不明の突然の嘔吐となれば、ゲロとはいえ情報源には違いない。
「吐き気はまだあるか?」
 弱った顔で重そうな瞼をなんとか開けている緑に問えば、少し間をおいて小さく首を横に振る。熱を出して一人きりで留守番する羽目になった子供のようで、見ていると少し可哀想になってくるくらいだった。
「口濯いだら、医務室まですぐだから。あとちょっとがんばろうな」
 熱で息苦しいのか、かすかに開いた口から弱々しく聞こえてくる呼吸音がいたたまれない。普段怪我をしようが異界に引きずり込まれようがシラッとした顔をしているだけに、よほどつらいんだろうなということが如実にわかってしまう。
 返事をさせるのも酷だろうと思いながら、気が紛れればとあれこれ話しかけた。湯がいた青菜のようにしおれていた緑は、やっとたどり着いた手洗い場で口を濯ぎ終わると、ふっと目の端をゆるめる。
 おもむろに通信端末を取り出すと、たたたと左手の指を器用に走らせて何事か打ち込み、俺の方へ画面を向けた。
<一人っ子だって聞きましたけど、実は弟がいたりしました?>
「……」
 要は、意外と面倒見がいいな、と言いたいのだろう。
 まさか、俺のしどろもどろの対応が、かなりしっかり弟に甘かったらしい緑の兄に似ているわけもない。
「ンな軽口叩けるんだったら、医務室一人で行けるな?」
 言った途端にまた、一人きりの部屋で秒針の音を聞きながら寝ているしかない病児のような、心細げな顔をする。わざとやっているんじゃないらしいから余計にたちの悪い、甘ったれた弟の顔。俺に限らず、兄弟順が上の者や一人っ子、それから子持ちのほとんどが緑のこの顔に弱い。
「……いいよ一緒に行くよ……」
 どうせ班長も一足先に医務室へ行って状況の説明をしているだろうし、俺も来るものと思っているに違いないのだ。一人で行けだなんて、それこそ軽口に軽口で返しただけの雑な意地悪だった。
 強ばってガチガチの肩を支えれば、呼吸とは別に小刻みの震えが手のひらに伝わってくる。
「寒い? 悪寒?」
 こく、こく、とうなずいたのを促して、今度こそ医務室へ足を向ける。
「もうだいぶ熱あるけど、まだ上がるのかもな……ついたら寝かしてもらえるし、やばそうだったら解熱剤とかもらえるかもしれないからな」
 涙の膜が張って揺れる緑の瞳が、ついに降りてきた瞼に隠れた。俺に寄りかかってどうにか足は動かしているし、離してもなんとか自力で立ちはするだろうが、きっと目を開けているのもつらくなってきたのだろう。目を閉じていても俺に任せていれば無事に医務室まで送ってくれるものだと疑いもしない。
 この際、おんぶでもしてやれればお互いに楽だったのだろうが。俺はここから医務室までの距離を、成人男性一人背負って安全に歩ききれる自信がないので、緑にはもうひと頑張りしてもらうしかなかった。
「体鍛えた方がいいのかね、俺も……」
 どうせ現場では通信機をやっていることの方が多い。今までに何度も考えた筋トレの必要性を頭の隅の方へ追いやりつつ、医務室への道をゆっくり歩いた。

カテゴリー
職員紹介

山古 優歌(やまこ_ゆうた)

所属   籠目財団災害対策部災害対策二課実行係 大暑班

年齢・性別  31/女

職務レベル  A

技能レベル リーダー:4 対策具作成:3 個人戦闘:3 状況把握・判断:4 オフィス技能:4

能力

  • 離れた場所にいる人間への思考伝達
  • 超常視認、音の聞き取り、気配察知、直接接触可能
  • 状況判断、指示出しの的確さ
  • モールス信号、手旗による通信
  • 対策道具を使用しての超常退治、浄化

所持異能

超常視認、直接接触、気配察知可能

テレパス(送信のみ)

不可スキル

  • 道具なしでの超常退治、浄化

特記事項

テレパスを送る対象の選定、対象人数の多さ、フィールドの広さ等により極度の疲労をきたす事例あり。疲労時、対象の選定ミスや伝達内容の不足、誤り等が増えるため、過労状態にならないよう業務量・質の調整が必要。 機器使用不可の大規模作戦時菊谷と組んで全体への通信手段となる人材のため、常に余力を持たせる配慮を要する。

経歴

籠目財団 災害対策部 災害対策二課 実行係 大暑班

スカウトを受けて入職後、新人研修、超常対策能教育訓練を経て実行部隊大暑班へ配属。あらかじめ用意した対策道具を使っての退治、浄化を中心に一般隊員として危険度の高い超常にあたりつつ現地調査班との連携を密に行う大暑班にて活動。

籠目財団 災害対策部 災害対策二課 実行係 大暑班 班長

前任者の異動により班長のポジションが空席となったこと、また菊谷が異動を希望し戦闘行動に対応できると判定が下りたことから大暑班へ配属されたのに合わせ、班長へ昇格。超常の影響による電子機器の不調状況下においても菊谷との連携により的確な情報伝達が行えるため、大規模作戦時の要となる人材である。

カテゴリー
職員紹介

菊谷 奏(きくたに_かなで)

所属     超常災害対策部 災害対策二課 実行係 大暑班

年齢・性別  24/男性

職務レベル  A

技能レベル リーダー:3 対策具作成:3 個人戦闘:3 状況把握・判断:5 オフィス技能:3

能力

  • 音声になっていない思考の感知
  • 超常視認、音の聞き取り、気配察知、直接接触可能
  • 可聴音域、可聴音量ともに一般的なヒトを超える領域
  • モールス信号、手旗による通信
  • 対策道具を使用しての超常退治、浄化

所持異能

  • 超常存在感知
  • 人間の思考・感情の読み取り
  • 超常の立てる音、声の聞き取り
  • 通常物理音声の高精度聞き取り

不可スキル

  • 道具なしでの超常退治、浄化
  • 楽器演奏、コンサート(演奏会場)の視聴(録画・録音なら不可ではない)

特記事項

強い感情の発露、大人数のいる場、楽器演奏の行われている場所について、聞こえる音の取捨選択が適正に行えないことが多いため、イヤーマフを着用する。声による指示等が通りづらい場合もあるため、指示者はイヤーマフの着用有無の確認をすること。

また、異能使用後の精神的疲労が大きいため適宜人気のない静かな場所での休息をとらせること。

籠目財団 超常災害対策部 情報二課 現地調査班

スカウトを受けて入職後、新人研修、超常対策能教育訓練を経て現地調査班へ配属。楽器関連の超常案件についての調査対応を主として職務にあたっていたものの、精神的負荷により聞こえの精度にブレが出たほか、抑うつ気味の症状を呈したため若干の休職期間を経て配置転換を希望。

超常対策技能の向上訓練を行い、実行部隊へ異動。

籠目財団 超常災害対策部 災害対策二課 大暑班

異動後、大暑班班長の山古の配下として作戦時の通信担当(音による状況把握、隊員からの要請伝達)となる。最前線での戦闘には心許ないところも見られるものの、一歩引いての状況判断、伝達の的確さにおいては不足なし。超常の影響による電子機器の不調状況下においても班長との連携により的確な情報伝達が行えるため、大規模作戦時の要となる人材である。

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用語解説

用語解説

超常存在

生物的・物理的に科学で説明のつかない現象を引き起こす存在・場所等全般を指す。生体・非生体を問わない。

意思疎通:可

性質

ヒト含む生物を由来とする超常存在。それそのものは非生体であることが多く、由来となった生体の死後に発現する場合が主。概して生前の未練や強い感情を起因として発生し、それが解消されることで消滅することがほとんどである。

被害

  • 微量の瘴気による健康被害(頭痛、めまい、倦怠感、気鬱)
  • 姿、声等により存在を感知してしまうことによるストレス障害
  • ポルターガイスト等による物損
  • 存在を感知した者の噂等による経済的被害
    • 個体差が大きいためこれ以外にも被害が現れることは多々ある

能力

  • 瘴気汚染
  • 意思表示、対話
  • 物理干渉(個体差大)

対応

  • 意思疎通可能であるため、霊となっている原因を探り、可能であれば解消する
  • 解消不可かつ強い害意を示し説得に応じない場合は実行部隊による強制排除
  • 解消不可かつ害意・抵抗等を示さない場合は宗教職による浄化・弔事を行う
    • 存在し続けることで周囲へ被害を及ぼす可能性がごく低いものと判断される場合は定期的な面談を条件に排除・浄化等を行わない場合もある

妖怪

意思疎通:可

性質

主にヒトの伝承等による「認識」によって発生する超常存在。発生要因となった「ヒトからの認識」によって各個体で大きく性質が異なり、特定の生物を核としている場合や、自然現象に姿や性格を与えたものなどがある。ヒトからの認識が薄れることで弱体化、消滅する。認知度によって強化・弱体化が起こる性質があるほか、自身を「ヒトの隣人」と認識している友好的なものも少なからず存在するが、倫理尺度がヒトのものと違っていることから問題を起こすこともある。

被害

  • 認知を求めるあまりヒトに対して「イタズラ」を仕掛けることがままある
  • 上記「イタズラ」による物損、傷害、認識によるストレス障害等
  • 瘴気汚染
    • 個体差が大きいためこれ以外にも被害が現れることは多々ある

対応

  • 人的・経済的被害がなければ定期巡回による見守り
  • 「イタズラ」が過ぎるようなら無害な範囲に収めるよう説得
  • 説得に応じない場合、または特性上無害で在れない場合は封印を試みる
  • 抵抗著しく封印困難な場合は実行部隊による強制排除

憑きモノ

意思疎通:可

性質

ヒトに霊・妖怪等が憑依したもの。ヒトとしての性質に加え、憑いたモノの性質や特性、能力が付与される。霊、妖怪の存在する場に行くなどすることで発生することもあれば、超常存在側からヒトを捕捉しとり憑くこともある。

憑かれやすい体質のヒトが存在し、その特性が強いものは「巫(カンナギ)」等の異能力者として呼称する。

被害

  • ヒト側の自我喪失
  • 意に反する行動による身体傷害、社会的損害
  • ヒトの身体能力を超えた能力行使による身体・精神の傷害

対応

  • ヒトの生命や健康に害が顕著な場合は即時の浄化・排除
  • 利点が大きくヒトが超常存在に対し受容的な場合は憑依の解除を試みずとも可
  • 憑依を継続するにあたり社会生活に支障が大きい場合、また本人の希望がある場合には災害対策2課による保護・雇い入れを検討する(本人が憑依の解除を希望したが解除や浄化、排除ができない場合も同様)
  • ヒトが憑いたモノの力を社会的に有害な用い方(超常存在を認知しない現行法では犯罪の要件に当てはまらないが、同等の効果を超常存在の力を用いて得ようとする等)を試みる場合には、憑依の解除、超常存在の封印を行う

意思疎通:場合によっては不可

性質

主にヒト(まれに妖怪)からの「信仰」により発生する超常存在。多くは自然物や減少に姿・性格を与えられたものであり、成り立ちは妖怪と似通った部分も大きい。妖怪とは「神域(自身の力による異界の)構築の可不可」によって差別化を行う。年季を経ること、より多くに認知されることで大きな力を持つものが多い。認知されなくなることで力を失い、消滅する。個体差はあるが、畏敬をもって接されることが多いため自身をヒトの上位存在と認識していることが多く、またそのように扱われることを好むものも多い。

十分に信仰を得ている神の力は、概してヒトが対抗できるスケールのものではないため、神を相手取ることは極力避けるべきである。

能力

  • 元となった自然物、現象を操る
  • 自我を持つ生体への精神干渉
  • 加護、祟り
  • 神域の作成

被害

  • 天災の発生
  • 祟りによる傷害、死亡
  • 神域への連れ去り

※個体差、倫理尺度の差が大きいためもたらす被害も多岐にわたる

対応

  • 基本的に即時の排除は不可能と考える
  • 意思疎通可能レベルまで怒り等を「鎮める」ことを最優先とし、対話により被害拡大を止める
  • 機動部隊、実行部隊による実力行使での鎮圧については最終手段とする。行う場合は籠目紋と自身の名を捨て、不帰の覚悟をすること
  • 長期的には「害を為さない」「益神・和魂である」という認識を広め強めることで、その通りに変質させる
  • 封じることで認知されない状況を長期化させ、弱体化、もしくは消滅を図る

怪異(機構現象型怪異)

意思疎通:不可

性質

霊、妖怪、神等が変質し、意思疎通が不可能になったものを指す。一定の条件を満たすことで一定の現象、反応を起こす「機構」であり、状況(説得)等に応じて対応を変化させるような「意志」「思考」等は存在しないか、ヒトからは観測できない。

変質元になった超常存在がなにか一つの思考、執着にとらわれた結果であることが多く、不可逆の変化により性格(人格)は失われている。

影響範囲の異界化を伴うことがあり、また多くは無防備なヒトにとって致命的なレベルの濃度の瘴気をまとっているため、影響範囲内への立ち入りだけでも大きな危険を伴う。

能力

  • 元となった超常存在の能力に依存する

※大幅な強化、拡大解釈を含んだ能力の増加が見られる

  • 影響範囲内の環境を自身に有利な状況に固定する

対応

  • 一般人の即時退避
  • 現地対応職員の瘴気対策強化
  • 影響範囲の特定、変異元となった超常存在の特性把握
  • 怪異独自ルールの把握
  • 以上が完了した後、元となった超常存在個体に象徴される「核」の破壊、排除
  • もしくは影響範囲を結界で封印、禁足域指定とし財団資本による土地の入手を行い、一般人の立ち入り制限に加え周囲の警備と定期観測を行う

異界

怪異によって作り出された、現実とは位相の異なる世界。

怪異にとって都合がいい、あるいは怪異が固執しているイメージに基づいた独自の法則、規則が適用された世界であり、時として物理法則や時間の経過速度さえ現実とは異なる場合があるため、侵入自体が大変な危険を伴う。

多くの場合、高濃度の瘴気で一定範囲内を満たすことにより構築される世界のため、対策を行わない場合重篤な傷害を受けるほか、死亡の危険もある。

また、電子機器の不調を引き起こし、通信妨害を受けることもあるため、接近・侵入の際には電子機器を使用しない通信方法を確保しておく必要がある。

神域

神によって作られた異界。

上記「異界」と大きな違いはなく、物理法則や時間の経過速度が現実と異なることがある。神が信仰によって得た力で構築されており、極めて清浄であることが多い。

瘴気ほど即座にヒトの毒となる環境ではないものの、ヒトの生きる世界よりも清すぎるため、長くいることでヒトの身体・精神に悪影響を及ぼすことが多い。

※ヒトを海水魚としたとき、異界は飽和食塩水に満たされており、神域は真水に満たされていると例えられる。

瘴気

毒蒸気のようなもの。

通常は質量をもたず、発生要因によって状態・動きは異なるが、基本的には気体・液体等の流体状。例外も存在するが、壁、川、谷、山、亀裂等の「境界」に遮られる性質がある。

可視性、他ヒトからの認知のされ方は各個人の認識能力に依存する。特に瘴気の感知をしやすいのは、視覚、嗅覚、触覚による超常存在感知に長けた者だが、瘴気の濃度が高くなれば、普段感知しない感覚器でも感知できるようになることがある。

触れることで、悪心、強い不安感、体調不良、超常存在感知感度障害を起こす。影響の強さ、悪化度合いは、瘴気の濃度、接触時間、個人の瘴気耐性により異なる。

濃度の測定は既定の形代に対する侵食速度の計測によって行う。

対応

瘴気に触れる際には浄化符、あるいは形代等を用い、身の回りを浄化するか悪影響を引き受けさせる身代わりを作っておくこと。

また、影響範囲を拡大させないため、物理障壁の作成、結界構築による対策を推奨する。

実体化瘴気

毒霧のようなもの。

瘴気の濃度が上昇・飽和し、実体化したものであり、通常の瘴気と異なり質量をもっている。そのため、一般人にも視覚・嗅覚等で感知できるようになる。

基本的な性質、人体への影響は通常の瘴気と変わらないが、濃度が高いため侵食は比較にならない程速く強い。また、瘴気の発生原因によって特殊な毒性が追加される場合があること、急激な侵食を受けることでショック状態に陥ったり、急激な精神状態の悪化によるヒステリー症状の発出などを起こしたりする可能性に留意が必要。

対応

浄化符、形代に加え、物理的に触れたり吸い込んだりしないよう防疫装備を使用する。

また、上記対応は一時的に侵食を鈍化させるのみで、完全な対策は現在の技術では不可能なため、一刻も早い退避を強く推奨する。

実体化瘴気中での活動は非推奨とする。

結界

超常存在に対しても有効な「境界」を指す。

物理障壁による囲い、覆い、符その他を利用した一般人には不可視の囲いや覆いである。簡易なもので地面に線を引くことでも作成が可能。作成者の精神力、イメージ精度によって結界の強度は大きく変化するが、効果を保存したツールを作成、使用することにより、ある程度一定の強度と範囲を持った結界を誰でも発現させることが可能である。

符、札

特定の効果を保存した、紙状、板状のツール。

結界構築、身代わり、封印、能力強化、浄化等。設定された言動による起動コードを与えることで、保存された効果が発現するもの。あらかじめ作成して所持しておくことにより、必要なときに迅速に効果をあらわすことが可能。スイッチを押せば起動するアプリケーションと考えることができる。

動力として、ヒトの精神力を使用するものと、神の力を借りるもの、環境から必要な力を回収して使用するもの等がある。災害対策2課では主として、ヒトの精神力を使用するもの、神の力を借りるものを使用している。

ヒトの精神力を使用するものは、作成時に精神力を既定量こめて効果とともに保存することで、使用時に精神力の消耗を抑えることができる。なお、あらかじめ込めておいた精神力を消費しつくすと効果を失う。

神の力を借りるものは、対象の神が干渉可能な場所であれば、半永久的に効果を保つが、干渉不能な場では効果を発揮しないうえ、作成に信仰が必要なため誰にでも作れるものではない。

形代

身代わりとなる符、札を指す。

感染呪術、類感呪術を複合使用したもの。瘴気、呪詛等の影響を受けた場合、それを形代に「移す」ことができる。起動コードは「名入れ」あるいは「体組織(唾液、血液等)の付着」。

動力は必要とせず、起動することで瘴気、呪詛等を流し込む器として機能する。複数所持のうえ順に使用すれば瘴気中での活動時間の延長が可能だが、1つあたりの容量が決まっており、既定量を超えると瘴気等の吸収が止まり効果を示さなくなる。

所持している形代が尽きれば自身に直接影響を受けることになるため、安全域へ退避するまでを考慮し、余裕を持った運用をすること。

使用済みの形代は使用者と強く縁付いた呪具として利用可能なため、不用意な投棄はせず、焚き上げるか水に流すなど、適切な処理を行う。